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【VOL.144】シアトル生活記

(2009/07/20 青木 保司 )

はじめまして。a studio *の青木です。
僕は大学を卒業して代々木の一色建築設計事務所に11年間勤めた後、2000年に今のa studioを設立する間、アメリカのシアトルに3年ほど住んでいたことがあります。シアトルは一色事務所時代から馴染みのところで、多くのデスクメンバーも仕事などで訪れており、日本の住宅産業には関わりが深いところです。

今回のコラムでは、シアトルでの生活について綴ってみたいと思います。


シアトルには一色事務所に同期入社した友人が先に同社を退社しシアトルに渡っており、設計活動のほかに彼が主宰していたHIDABITO BUILDING ASSOCIATION(HBA)に所属することになりました。この組織は米国の住宅事情や技術を日本に発信したり、建築材料の輸出のコンサルティングをする非営利団体で、そこから3年間有効な就労ビザを出してもらいました。始めの2年間はシアトルダウンタウンから北へ車で40分ほどのLynnwoodというところにある友人のアパートを仕事場兼住まいとしていました。ここではじめて旅行ではない日常としての米国生活を送ったのですが、アメリカならではの非日常的な出来事をひとつ。
夏休みのある日、友人その他でキャンプに出かけようと早朝支度をしていると、外でなにやらパトカーや警官が集まってきてどこかを見張っている様子がうかがえました。我々はキャンプの荷物を外の車に積み込んだり出入りをしていたのですが、そのうち同じ棟のある部屋について張り込みをしているのが分かり、まるで映画のような警官たちが銃を片手に物陰などに待機している状況になってしまいました。そんなところにのんきにキャンプの準備をしているわけにもいかず、長居は無用とそそくさと出発することにしました。二日後に戻ってきて近所の人たちも変わりなくいたので、その後どうなったかは詳しくは分かりませんでしたが、のんきな日本人(自分)と緊張感のある警官たちとの対比が、今思うと笑える出来事として思い出されます。

Bainbridge Islandの住まい
Bainbridge Islandの住まい

住まいの面していた入り江

母屋

オフィス


最後の1年間は写真にあるような水辺の一軒家でした。ここはBainbridge Islandという島で、シアトルからフェリーで35分ほどかかります。なぜこの島かというと、前出の友人はアメリカ人のパートナーと設計活動をしており、そのパートナーがここに住んでいたのですが、島のほかの場所に家を建てたので我々が移ってくることになりました。(パートナーの家については住宅建築2000年1月号に「古材を再利用する-レッドウッドの家」に詳しく掲載されています。または以下のHPで確認できます http://www.lostartsllc.com/projects/p02Berg.html

写真で池のように見える水面は海で、深い入り江の一番奥に位置しているため、波もなく非常に穏やかな海に面していました。日本の海岸のような磯臭さもなく、本当にこれ海?という感じのところでした。でもたまにアシカが迷い込んできたり、ラッコかカワウソのような動物がいたり、やはり海なんだなと思わせることもあり、自然豊かなところでした。この貸し家は離れで母屋がほかにあります。この母屋の設計を友人のパートナーがしており、当初はパートナーの友人が住んでいました。我々が住んでいたときの大家さんは映画の撮影監督などをやっているPeter Levyさんというカメラマンで、ハリウッド映画なども撮っていました。いまはカリフォルニアに移ったらしく、ここも売りに出されたそうです。アメリカ人は本当によく家を引越しているようです。アメリカの平均的中産階級は三年ないし五年おきにその住居を変えるという調査もあるそうです。
この家は平屋の3LDKで、住まい兼仕事場でもありました。オフィスにしていた部屋の海側は全面ガラス張りで暖炉もありました。シアトルはカナダのバンクーバーに近いので寒いところと思われますが、海流の影響で冬でもめったに雪は降りません。気候は日本とは逆に冬に雨が多く、夏は乾燥した晴れの日の多い季節となっています。また緯度が高いためサマータイムも有効で、夏は午後9時頃まで十分に明るく、アフター5からアウトドアで遊ぶようなライフスタイルになっています。我々も夕方仕事が終わってから、グラス片手に海辺のテラスで過ごすことが多く、ここでバーベキューもできるので、わざわざ他に遊びに行く必要もなく、とてもいい時間を過ごせました。また、週末はほぼ必ずパートナーの家にお邪魔し、セミプロの腕前であるパートナーのご主人が振舞ってくれる手料理を堪能していました。こちらのロケーションはさらにすばらしく、夕刻の情景はいまでも忘れられません。

パートナーの家

パートナーの家からの夕景(対岸は本土です)

僕が過ごしていたのは1997-2000年で、その後の世界情勢の激変を思うと本当にあのときにいい体験をしておいて良かったと思っています。そのときにお世話になった方々には本当に感謝しており、シアトルで経験したことを今後の設計活動の参考にしていきたいと日々思っています。


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