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【VOL.126】「かけがえの無い家」

(2009/01/22 高橋 隆博 )
本年も宜しくお願い致します。
平成20年という区切りのよい年明けは私にとって感慨の深い年末年始となりました。
今回はコラムとは言いがく恐縮ではありますが、「土地への哀愁」にまつわる「ひとり言」とさせて頂きます。  

皆さんにはご自分が生まれてから現在まで絶え間なく過ごして来た家や場所をお持ちでしょうか?
幸運にも私には半日常ではありますが、掛替えの無い家があります。


高度成長時代の幕開けの頃、ビーチコーストとして湘南の名を世に広めた「茅ヶ崎」
その代名詞とも言うべき東海岸に祖父母(母方)の家があります。
当時、勤務医であった祖父が転勤の為この地に家を構え、間もなく私も生まれました。母の弟妹の多くは日本各地に居住故、必然的に日常の出入りは我が家であった事から、私にとって物心つく頃からのセカンドハウスそのものでありました。  

しかしながら昨年の今頃、祖母が白寿を目前に他界。
そしてこの春、私の人生と時を同じくして生きて来たこの茅ヶ崎の土地も家もなくなることになったのです。
思い起こせば私自身、小学校低学年で転校を経験、社会人、結婚し家族を持つ現在を通しても・・・。同じ家の生活はせいぜい十数年以内。この茅ヶ崎の家だけ が唯一、産声をあげてから様々な移り行く時代の中で絶えず「半日常」の存在でした。

(ここから少々回顧録・・・)

<1960~70年代前半・・・。加山雄三とドゥービーブラザースとおばぁちゃん>  
幼少時代~  降り注ぐ蝉の声の合間に程近いパシフィックホテル(往年のスター上原謙が建てた湘南リゾートの草分け、設計:黒川紀章)のプールサイドから微かに聞こえ るハワイアンをBGMに蚊と格闘しながら駆けずり回る日々・・・。
(茅ヶ崎、蚊がさき、ハエがさき・・・松林の中の為、とにかく蚊がすごい)

<1970年後半~1980年代・・・サザンとチューブ(元は地元じゃないけど)&ドゥービー>
中学、高校時代は部活の合間をみて思い立ってはひとり川崎から茅ヶ崎へ~。2時間掛け自転車で行った事も・・・。
大学に入り車の免許を取ると、昼夜を問わず海へ海へ・・・。 (場所柄、中学の頃からサーフィンを始め・・・高校時分には世間もサーフィンブームへ突入。当時GodesやChipsの皆さんにはお世話になりまし た。)  

70年代終盤、 祖父の他界。祖母と叔母で男手のないこの家での私は「単なるかわいい孫」からいつしか…..庭木の剪定、穴堀(ゴミ)、大物の買い物、網戸の取付け取り外 し(毎年、全ての重い木製サッシは梅雨時~秋限定で網戸への交換を余儀なくさせる)、雨樋掃除(松林の中、これを欠かすと大変)、あらゆる日曜大工を担う 事に・・・(あ~っでも楽しかった)

80年代後半以降、私の社会人は弟子入りの如く設計事務所で始まり(一色事務所でしたし・・・)さすがに学生時代より頻度は減りました(バブルに突入もあり・・・)、がしかし男手仕事は必然的に継承~とは言っても、それはいつしか季節毎の「日常」から「非日常」へと変化していきました。

それも90年代後半からは私の子供達(茅ヶ崎のひ孫)もその恩恵を味わってきているあたりは「輪廻」を楽しんできました。  

米寿の祝いの直後、元気だった祖母も足の骨折から(最後まで歩くことはありませんでした)要介護を余儀なくされ、その後10年の同居の叔母達の生活は、叔 母の痴ほうも相まり育児生活そのもので頭が下がるばかりでした。
一方、半世紀弱のこの家はこれまた要介護でありながら大掛かりな工事が憚らなかった故、騙し騙し期を伺う日々の連続でありました。

(回顧録-終)  

ここで改めて感じることは、伝統的でも前衛的でもない一般的なこの家ですが(強いていえば開放的)、先人の巨匠達の様々な建築と同様、建築家としての私 にとって感覚的な影響を与えてきていることは間違いないということであります。
またその傍ら、大手ハウスメーカーや投資顧問会社(不動産)の顧問としての私にも資産としての不動産や開発を考える上での情緒面の重要性をも再認識した次第です。

  先日も私はこの庭に佇み、この四十数年の姿を残すこの家と庭とまばらになった松の木々をしみじみと只々時間を忘れ眺めるのでありました。

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